さよならとりっぷ

しがないWebエンジニアの雑記とポエム

「とらドラ!」と自分と

当時の時代的な潮流はあったし、周囲でも流行っていたが、
「アニメ」というものを青春時代殆ど見ていなかった自分が
10連休の8日目を使って、とらドラ!という作品をnetflixで見ていた

周囲で流行っていたと書いたが、本当は流行ってはいなかった気がする
それは進学した高校に依るものだったのかもしれない

僕が通っていた高校は、今思うとオタクと呼ばれる人種がかなり少なく
非常に心が大人で、心が綺麗な人たちが多かった

僕は今思うとオタクではなく、どちらかというとゲーセンのゲーマーだった

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ざっくり紹介すると、「ドタバタ恋愛群像劇」というたった9字で纏めてしまえるのだが、
そうまとめてしまうのには余りにも勿体無いくらい、人間模様が色濃く描写された作品だった

主人公の高須竜児とヒロインの逢坂大河は、ハッキリと対象的なキャラクターだ
大人すぎる竜児、子どもすぎる大河

二人はお互いの親友、櫛枝実乃梨と北村祐作のことが
それぞれ好きだということが発覚してしまい
お互いが好きな人とくっつけるように協力するようになる

しかし、協力していくうちにお互いが知らず知らずのうちに相手に惹かれていき
櫛枝実乃梨と北村祐作がその好意をお互いが自認するように、
引き金を引く、という形でクライマックスへ向かっていく

その引き金を引く部分のところに、人間のドロドロした感情や、
お互いセーブしない感情のぶつかり合いが描写されていた

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実は櫛枝実乃梨は高須竜児が好きだった
その部分で逢坂大河櫛枝実乃梨の感情のぶつかり合いが発生した

今まで一見上手くいっていた人間関係は、
実はお互いが感情を押し殺していたから成り立っていたものであり、
それが引き金を引くタイミングでお互い爆発する

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しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れると言うように、
最後は喧嘩した二人は仲直りしていた

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上記には書いてはいないが、僕はこの作品を見て、
まず、高須竜児の大人すぎる考え方に、惹かれていた

友人への気遣いの心、友人からの気付き、友人への言葉のチョイス
母への言葉、大河への言葉

全てとは言わないが、その言葉の節々には相手に対する敬意や愛情を感じることが出来、
だから結果として子どもすぎる逢坂大河と結ばれる運命があったのかもしれない

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そしてもう一つ

喧嘩するなり考え方の違いがあるなりして、非常に気まずい関係性に一時的になったとしても、
高須竜児はとにかく前に進み、自分の非を認め、謝り、翌日には関係性を修復していくのだ

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僕は、一度壊れたものは、二度ともとに戻らないものだと
いつからか思い込むようになり、壊れたものにはさよならを告げ、捨てていたと思う

しかし、相手もまた人間であり、僕が何か悪いことをされ、
その後相手から謝ってきたら許すように、
僕もまた悪いことをしてしまった人に、謝る必要が、とてもある

その行為から、ずっと、ずっと、自分は目をそらし、逃げ続け、
一度壊れたものは、もう二度と戻す努力を放棄してきていた

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この作品を見る前から、この考え方や自分の傾向などには気づいていて、
だけど、この作品を見ることによって、更にはっきりしたと思う

笑ってその場を誤魔化したり、その場しのぎの盛り上がりに身を任せてきた、この十何年は
恐らく、自分にとって、とても大切なものを、何個か失った

その経験を美化するために、「自分の人生はさよならを言い続ける人生だ」などという言葉とともに
このblogのタイトルも、その言葉を表したものにした

さよならしたくないものも、まだ取り戻せたのかもしれないのに、
この言葉の魔力によって、自分を偽り、見ないようにしてきたのだと思う

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もう美化する必要はなくて、
さよならを言わないために、これから何をしていくか、考えたい

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それでも、さよならを告げなければならないことがあることも、重々わかっている

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