さよならとりっぷ

しがないWebエンジニアの雑記とポエム

帰り道

僕が引っ越した上石神井という駅は、駅を出てすぐに対向車がギリギリ通れるか通れないかくらいの細い一本の道を歩くことになる。
どうして僕がその道を好きなのか、今夜の帰り道使う必要のなくなった傘をぐるぐる回しながらふと気づいた。
実家の最寄りのバス停から実家に帰る道にとても良く似ていたからだった。
実家に住んでいたころも雨が上がって使う必要のなくなった傘をぐるぐる回しながら歩いていた。
車なんて殆ど通らなくて近くには住宅もあって住人も住んでいるけど息を潜めるように静かな帰り道。
感覚があの頃の感覚とシンクロしてふと気づいた。

記憶として一番強く残っている感覚は視覚でも聴覚でもなく嗅覚だと気づいた。
三重のおじいちゃんちの家の匂い、畑の土の香り。
大須のおばあちゃんちの犬と猫の匂いが混じった家の匂い。
遠出した帰り道によく自転車で通った道の横に建てられている工場から漂う粘土の匂い。
道を歩いているとふとした瞬間に強烈に思い出される記憶・景色。
幼いころは五感をフル活用してすべてを感じ取っていたのだろうか。

記憶というものは忘れるものではなく、覚えているけど思い出せないということをどこかで読んだ記憶がある。
何かがきっかけで何かが強烈に思い出される。
きっとそれは死の直前の走馬灯だとか嗅覚や聴覚で何かを感じ取った時だとか。
何がきっかけで何を思い出すかは突然そうなってみないとわからない。

思い出したくない記憶はどうやったら思い出さなくなるのだろうか。
思い出したくない記憶は思い出したくないと思う限り思い出してしまうみたいな言葉をどこかで読んだことがある。
僕はこれから五感で感じ取ったあの強烈な記憶とともに生きていかねばならないのか。
誰も真相は分からないが、過去より未来が楽しくなってほしい。

その当時の過去は本当に楽しかったのだろう。
しかし時間が経つに連れ、楽しかったことには蓋をして楽しくなかったことばかり考える。
楽しくなかったことは本当は楽しかったのに楽しくないこととして曲解しているのかもしれない。
細かいことは忘れないと、楽しくない。

帰り道の途中にこれから楽しくなりそうな種がある。
その種に水をあげるのか、枯らすのか、もっと待ってみるのか、自分次第。
人間関係という種は、どうなるかわからない。
人間関係だけが僕は苦手だ。

それは自分の思い通りにいかないからだとずっと前から考えている。
当たり前だ、相手には相手の意思がある。
だけど意思なんていう言葉には固さがあるし、みんな意外と意思というものはもってないのかもしれない。
難しいことを考えなくても、自分が楽しくて幸せで喜べて笑えれば、意思がなくても人生は楽しい。

その楽しさは一人では生み出せない。
もちろんお笑い番組の録画や探偵ナイトスクープを見ることで楽しさは得られるが本質的には違う。
その場に人と人がいて繋がって笑って喜んで感謝して。
なんかそんな感じなのだろうと思うけど。

相手と一緒にいる自分
自分と一緒にいる相手

どっちも幸せで楽しい生活

考え過ぎかもね、きっとよく考える時間帯になってきたのだろう。

インターネットは楽しくて切なくて面白い。
ずっと僕を魅了し続けてくれてる。
だから僕は無駄な文章だと思ってもインターネットの海に流し続ける。
どこかで誰かが僕の文章で笑ったり共感してくれたりしてるとするととても面白い。
僕が昔そうだったように。

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