さよならとりっぷ

しがないWebエンジニアの雑記とポエム

情報濃度の希薄化

最近聞いた話で面白かった話があったので書いておこうと思う


「メディアの力で、ある学問や思想的なものの『情報』が先行して『核』の部分が伝わらず、全体として曖昧な分野となってしまう」


要約すると上の文みたいな話だった

メディアとして、書籍しか発行出来ない時代は、書籍を作成するためにその分野について、
『核』となる部分の吟味検討や取捨選択が行われ、情報の『濃度』的なものが濃くなり、またそれが、
損失することなく書籍の内容として情報が伝わっていった

今の時代は違う
多様なメディアによって、情報の『濃度』的なものが濃くなる前に多数の人に伝わって、
結果としてその分野を(曖昧にも)知っている人自体の数は多くなるのだが、
その「知っている」という感覚の『濃度』的なものの濃淡は、どれくらいなのだろう。

確かに僕もその傾向があった
昔からインターネットで多種多様な情報に触れていたが、インターネットで得た知識の情報の『濃度』的なものは、
絶対に学校で学んだことよりは『薄い』と言い切れると思う
(知識ではなく、使い方や文化だったらまた別なのだろうけど)


現代的なメディアを通して得た希薄化した情報の消費だけで日常を満たしている

そしてその日常に慣れ切ってしまって、結果として自分に残るものは何もないのだろうか

広告を非表示にする